|
馴染みとはいえないけれど僕が貧乏そうな顔をしているのか、普段は学生だと絶対に見なされないのに、毎回オマケをくれたり消費税分を負けてくれたりする和菓子屋。ここのあつあつの美味しそうなみたらし団子が好きなんだけど、いちご大福を奨められたのでそれを貰った。いちご大福はお店や季節や地域によって中身がつぶ餡だったり、漉し餡だったり、白餡だったり、苺が酸っぱかったり、甘かったりするけど、ここのは「白餡で酸っぱめの苺」という僕の大好きな型。朝から何も食べてなくって帰途につきながら袋を穿りムシャムシャ食べた。求肥にしまりがなくって指にべたべた付いて取れない。指を舐めながら商店街を歩くのも、なんだかなぁ、と思ったので、普段は行かない路地の奥に入って立ちんぼしながら苺大福を食っていた。そこは昭和然とした、でも全くお洒落感の無い(つまり中崎町のような嫌みのない)良い所。通りの隙間からは中学校のグラウンドが見え、「せうぉーい」とか何とか野球部の子たちが声をあげている。
その通りで立ち話をしていた婆さんが連れと分かれて話しかけてきた。 「兄ちゃん、見かけへん顔やな」 4年間この街で過ごしていても、この通りには滅多に来なかったことに少しだけ後悔と恥ずかしさを感じた。柏原でフリーペーパーを、なんて偉そうに言っいるがこの程度、結局、柏原の街のことなんか余り知らないのだ。でも、フリーペーパーを作ろうとしていなければ、こうして小さな路地に入ることもなかったのだろう。婆さんに駅の近くに住んでいることを言うと、「わしは、第八区隣組の口うるさい婆さんや」と多分毎度お馴染みのモノであろう自己紹介をしてくれた。で、その婆さんの家の前には椅子が二脚とベンチが一脚あって、それに二人で座って色々話をした。苺大福を食いながら。 「人間はな、うまれるとき一人、死ぬときも一人」80過ぎ、一人暮らしの婆さんの言う言葉は、ガラスの心臓を持つ青少年のそれとは違って凄くリアリティがある。きっと、この婆さんは深いかかわりのあった何人もの親族・隣人の死を通してそう思ったんだろうな。「親類に囲まれても、手を繋いで貰っても一緒。死ぬときはひとり。」決してネガティブな感じではなく、とてもフラットに笑いながらそう話す。そして通りの家々に袂が削られて菱形になった信貴山を見ながら「今、あの山の八合目くらい。で、もう少しで頂上に行って、バァーっと滑り降りるのが楽しみだなぁって、いつも思うんやー」と、こんなことを楽しそうに言うのだ。これが70年間柏原の同じ通りに生きてきた人の、庶民の哲学だ。でも、庶民の哲学以外に一体何がある? 街の風景に人生の経験、心の移り変わりを投射させて、街を我が身とし、我が身を街とする。街と共に生きる、という当然なことは、何も町おこしとしての<アート>とか、胡散臭い、取ってつけたような、そういうもので実現されていくのではなく、例えばこうした路地に住む婆さんの中にこそ街の本質は在るのではないか。もう町おこしとかで文化を捏造するのは…どうなんだろ?少なくとも僕はあんまりしたくないなぁ。 と、指に付いた求肥を舐りながら思うのでした。 # by izabella-r | 2008-03-01 20:13
| |||||